第九十九回 空蝉

東大名誉教授・塩田邦郎先生コラム「エピジェネティクスの交差点」
塩田 邦郎 先生のご紹介

塩田 邦郎(しおた・くにお)
東京大学名誉教授
1950年鹿児島県生まれ。博士(農学)。79年東京大学大学院農学系研究科獣医学専攻博士課程修了後、武田薬品工業中央研究所、87年より東京大学農学生命科学研究科獣医学専攻生理学および同応用動物科学専攻細胞生化学助教授、98年より同細胞生化学教授。
2016年早稲田大学理工学研究院総合研究所上級研究員。哺乳類の基礎研究に長く携わり、専門分野のエピジェネティクスを中心に、生命科学の基礎研究と産業応用に向けた実学研究に力を注ぐ。2018年より本サイトにて、大学や企業での経験を交え、ジェネティクスとエピジェネティクスに関連した話題のコラムを綴っている。

第九十九回 空蝉

宇宙の企みか、秋雨前線や台風の影響で、列島各地に線状降水帯による豪雨災害がもたらされている。私の住む街でも車の水没や道路の路肩崩れなどがあり、その後も全国各地で被害が報じられている。

近くを見回ると、公園の調節池もほぼ満水になっていたらしく、周囲の歩道を越えて水が迫っていた様子が窺える。水かさが増したあたりに水鳥や鯉が泳いでいる。近くの木々の間には、蝉の抜け殻が半分、土に埋まっている。セミの殻は空蝉(うつせみ)とも書く。この世に現存する人間である現人(うつせみ)に「空蝉」の字を当てた語で、平安時代以降にできたという(広辞苑)。土に埋まった目の前の空蝉を、現人が見ているわけだ。現世とあの世の境界線が見て取れる。 

「生きてまっせ!」。ショートメッセージが届いた。毎年の秋に、30年以上も前に勤めていた会社の同期メンバーと会うことになっているのだが、その1人のYからの連絡が途絶えていた。このYは、先のコラム(第8回『我らは和製ポイズンピル世代?』)のYとは別人で、最年長の会長格の人物である。宴席では「吉田松陰〜♬」と詩吟まがいを唸り、年の瀬にはベートーベンの「喜びの歌」の合唱団に参加する御仁で、容貌も語り口も仙人がかっている。はたして届いたメッセージが、この世の現人からか、あの世の空蝉からか、確証は持てない。

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