東京大学名誉教授
1979年より製薬会社中央研究所、1987年より現在まで東京大学(農学生命科学研究科)、2016年から2020年まで早稲田大学にて研究されてきた。素朴な生物学の影を残した時代から、全生物のゲノム情報を含む生命科学の基礎と産業応用の飛躍の時代になった。本コラムでは大学や企業での経験も交えながら、専門分野のエピジェネティクスを含めた自由な展開をお願いしました。
第六十一回 阿修羅像をめぐる鬼神学
奈良での学会を翌日に控えたある夏の夕刻に興福寺を訪れた。三面六臂の阿修羅像を観るためだ。眉をわずかに引き寄せ考え事をしている様子の正面の顔は魅力的だ。こういう表情はどこかで観たことがある。
興福寺でその時に買い求めた「興福寺」と題する冊子には“阿修羅像:梵語(ぼんご)のアスラ(Asura)の音写で「生命(asu)を与える(ra)者」、あるいは「非(a)天(sura)」にも解釈される”とある。さらに“西域(ペルシャ)では大地に恵みを与える太陽神であったが、インドでは熱さを招き大地を干上がらせる太陽神”と、全く性格の異なる神にもなる。阿修羅像の顔は、地域や時代により立場が変わることに関係しているのだろうか。
私たちはどこから来てどこに向かうのか、科学の発達以前からの人類の持つ興味だ。地球上の生命誕生から40億年ともいわれる中で、地球外生命は存在するのか、人類に未来はあるのか、無限に広がる空間と時間を前に、人類の想像力は役に立つだろうか?
評論家の山本七平氏によると「demonologyは、霊を研究する学問のことで、鬼神学と訳される。霊は空想の産物ですから、これを研究すれば、人間の想像力の限界がわかるというわけです」とある(山本七平ライブラリー⑤、指導者の条件、文藝春秋 ISBN4-16-364650-7)。人間の想像力には限界があるというのだ。