東京大学名誉教授
1979年より製薬会社中央研究所、1987年より現在まで東京大学(農学生命科学研究科)、2016年から2020年まで早稲田大学にて研究されてきた。素朴な生物学の影を残した時代から、全生物のゲノム情報を含む生命科学の基礎と産業応用の飛躍の時代になった。本コラムでは大学や企業での経験も交えながら、専門分野のエピジェネティクスを含めた自由な展開をお願いしました。
第十七回 私は誰?細胞の場合
幹細胞などから誘導した細胞・組織で体の回復を目指す再生医療、病気の原因となっている遺伝子領域を突き止め標的薬で治療するプレシジョンメディシン(第7回、第8回コラム)の時代となり、細胞も昔のままではなさそうだ。私は誰だ?(第16回コラム)に続いて、今回は細胞についてだ。
一般の教科書(解剖学・生理学)では、私たちの身体には200〜300種類の細胞が存在すると紹介されている。顕微鏡観察による組織学的所見(細胞の形状と組織内の位置および染色状況)から導かれた数だ。そして、特異抗体を用い特異分子(タンパク、複合糖鎖など)を検出する免疫組織化学やmRNAを検出し遺伝子発現を調べるin situ hybridizationなどが加わり細胞が特定されてきた。
しかし、多くの場合、細胞はシャーレに移され培養されると、形状も変化し、細胞の判別が難しくなる。さらにクローン化、遺伝子導入、ゲノム編集などが施され、しかも継代が可能になった細胞となると、仮に特異分子が検出されても、生体内に存在した細胞とは異なった、いわば人工細胞だ。
再生医療の主役の分化多能性細胞 {受精卵や初期胚由来の胚性幹(embryonic stem, ES)細胞やiPS (induced pluripotent stem)細胞} も天然には存在しない人工細胞である。ES細胞は、発生初期の(桑実胚と呼ばれる)胚の内細胞塊の細胞が、人工の培養環境に適応して生き延びた細胞である。iPS細胞も、様々に分化した細胞にいくつかの遺伝子を導入することで培養下で生き延びたES細胞に似た性質を持った細胞である。
オレキシンは視床下部のいわゆる摂食中枢に局在する神経細胞(オレキシン細胞)で生産される神経ペプチドである。摂食行動を制御する神経ペプチドとして発見され、覚醒・睡眠制御、モチベーション(やる気)にも関わっている。突然眠りについてしまう深刻な疾患、ナルコレプシーの原因はオレキシンの欠乏で、オレキシン細胞数が老化に伴い低下するとも報告されている。