第七十三回 若き日の諭吉の顔

東大名誉教授・塩田邦郎先生コラム「エピジェネティクスの交差点」
塩田 邦郎 先生のご紹介

塩田 邦郎(しおた・くにお)
東京大学名誉教授
1950年鹿児島県生まれ。博士(農学)。79年東京大学大学院農学系研究科獣医学専攻博士課程修了後、武田薬品工業中央研究所、87年より東京大学農学生命科学研究科獣医学専攻生理学および同応用動物科学専攻細胞生化学助教授、98年より同細胞生化学教授。
2016年早稲田大学理工学研究院総合研究所上級研究員。哺乳類の基礎研究に長く携わり、専門分野のエピジェネティクスを中心に、生命科学の基礎研究と産業応用に向けた実学研究に力を注ぐ。2018年より本サイトにて、大学や企業での経験を交え、ジェネティクスとエピジェネティクスに関連した話題のコラムを綴っている。


エピジェネティクスの交差点がついに書籍化!

本コラム「エピジェネティクスの交差点」が書籍として出版されました!詳しくはこちら


第七十三回 若き日の諭吉の顔

 確か、若い福沢諭吉と女性のツーショット写真が載った本があったはず。その記憶を頼りに、本棚から『新訂福翁自伝』(福沢諭吉著、富田正文校訂、岩波文庫)を探し出した。『福翁自伝』は、明治30年に諭吉が速記者の前で約60年の生涯を口述し自身が加筆を行ったものだ。その文庫本に、「from TOKYO/NARITA to SAN FRANCISCO, UA838」と記された国際線の半券が挟まっていた。半券には2007年7月とあるから研究費で苦心していた頃の半券だ。

 諭吉は懐手に和服姿で椅子に座り、隣には若い女性が立っている。写真の説明には、「万延元年(1860年)サンフランシスコにて」とあるから、福沢諭吉25歳の写真で、「これは写真屋の娘で歳は15とかいった」と記されており、帰国時に寄ったハワイ港を出帆した日に船内で周りにその写真を見せたことがユーモラスに描かれている。この写真の諭吉の顔には、現代の若者にも通じる、未完の魅力を感じるのだ。

 大学や公の機関の研究活動の中心となるのは科学研究費(科研費)である。これまで研究費の獲得について本コラム「第56回 研究費(1)梅の便り」、「第57回 研究費(2)桜の酔い」、「第63回 科研費カケンヒ」 に記してきた。研究費獲得は、研究者にとってばかりでなく、学生・院生にとっても人生を左右する大きな問題だ。

質問してみる!

「?」と思ったらすぐ解決。
どんな小さなことでもお気軽に。
ご意見・ご感想もお待ちしています。

WEB会員

記事の更新情報を受け取りたい方はコチラ

WEB会員 登録フォームへ

GeneF@N とは?