東京大学名誉教授
1979年より製薬会社中央研究所、1987年より現在まで東京大学(農学生命科学研究科)、2016年から2020年まで早稲田大学にて研究されてきた。素朴な生物学の影を残した時代から、全生物のゲノム情報を含む生命科学の基礎と産業応用の飛躍の時代になった。本コラムでは大学や企業での経験も交えながら、専門分野のエピジェネティクスを含めた自由な展開をお願いしました。
第五十九回 未来のおきく
久しぶりに映画館に出かけ、「せかいのおきく」(監督・阪本順治)を観た。父親を襲った刺客に斬られ声を失った“おきく”と、汲み取りを生業とする汚穢屋(おわいや)の若者たちとの青春を描いた物語だ。
映画の最初から厠(かわや)や畑の肥溜めの糞尿映像で始まる。長屋の厠は共同利用で屋外にあるが、雨がしばらく続くと汚物が溢れだし、用を足せなくなってしまう。幸い白黒の映像だったが、そのような場面が続くと、なんだか周りから臭いがしてくるようで、昔の汲み取り式トイレの風景を思い出した。
バキューム・カーが来るのは都会の生活で、肥桶を使って汲み取るのがつい先頃までの田舎の生活だった。それでも、世界には現在でもトイレすらない生活をする多くの人々がいるのだから、トイレが家の中にあるだけでもありがたい。現代の私たちは定刻発着の電車やバスを利用でき、舗装された道路を車で移動できること、電気と水を自由に利用できることなどを当然だとしている。しかし、世界を眺めるとそれは幻想のようだ。私たちは間違いなく不平等な世界で暮らしている。
夏に米国の学会に参加して戸惑うことは、会場内の温度が低すぎることだ。暑い戸外から建物に入った瞬間は快適だが、じきに寒くなり上着やセーターが欲しくなる。いっぽう冬の学会では室内が暑すぎて半袖シャツが必要になる。だから米国に向かう際は、夏にはセーターを、冬にはポロシャツを旅行かばんの中に忍ばせるのが常だった。