第八十六回 交差点に立つ陽炎

東大名誉教授・塩田邦郎先生コラム「エピジェネティクスの交差点」
塩田 邦郎 先生のご紹介

塩田 邦郎(しおた・くにお)
東京大学名誉教授
1950年鹿児島県生まれ。博士(農学)。79年東京大学大学院農学系研究科獣医学専攻博士課程修了後、武田薬品工業中央研究所、87年より東京大学農学生命科学研究科獣医学専攻生理学および同応用動物科学専攻細胞生化学助教授、98年より同細胞生化学教授。
2016年早稲田大学理工学研究院総合研究所上級研究員。哺乳類の基礎研究に長く携わり、専門分野のエピジェネティクスを中心に、生命科学の基礎研究と産業応用に向けた実学研究に力を注ぐ。2018年より本サイトにて、大学や企業での経験を交え、ジェネティクスとエピジェネティクスに関連した話題のコラムを綴っている。

第八十六回 交差点に立つ陽炎

 駅から家までの短い道のりでも、三つの交差点を抜ける。そのたびに、何人かとすれ違う。距離が延び、繁華街のような人波に入れば、その数はさらに増えるが、顔を合わせたほとんどの人は記憶に残らない。しかし、印象に残る人々と出会ったことも事実である。その人とは、別の場所で、あるいはこれまでに読んだ本の中で出会うこともある。

 昔『アルジャーノンに花束を』を読んだ記憶があるが、今でも新版(ダニエル・キイス著、小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫)を街の本屋で見かける。主人公チャーリイは知的障害をもつ青年で、アルジャーノンは白いマウスだ。アルジャーノンは知能を向上させる手術を受けたマウスである。

 マウスは体重が12〜30 gほどで、どちらかといえば賢く、可愛いイメージを持つ。夜店で売られ、ペットとして飼われていた歴史があり、“はつかねずみ”と呼ばれたように、実験動物として利用される以前から中国や日本では愛玩されてきた。それに対してラットは体重が140〜500 gと大きく、鈍重で凶暴な悪役のイメージを帯びる。下水溝に棲むドブネズミに由来することも、その印象を強めている。ドブネズミは比喩的に、主人の目を盗んで悪事を働く手代や番頭を指す言葉としても使われる(広辞苑)。マウスは水を嫌うが、ラットはそうではない。アルジャーノンが(ラットではなく)マウスでなければならなかった理由もここにある。

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