東京大学名誉教授
1979年より製薬会社中央研究所、1987年より現在まで東京大学(農学生命科学研究科)、2016年から2020年まで早稲田大学にて研究されてきた。素朴な生物学の影を残した時代から、全生物のゲノム情報を含む生命科学の基礎と産業応用の飛躍の時代になった。本コラムでは大学や企業での経験も交えながら、専門分野のエピジェネティクスを含めた自由な展開をお願いしました。
第五十回 ツクツク法師の教え
「しゃーしゃー」「じいじいー」とクマゼミやアブラゼミの鳴き声はうるさかったが、子どもの頃、夏休みの初めの解放感は何よりも素晴らしかった。しかし、「おーしつくつく」とツクツク法師が鳴き始めると夏も間もなく終わる。毎年繰り返されてきた日々の焦り、そろそろ絵日記の遅れも取り返さねばならないし、まだ手がついていない作文に向かわねばならない。
日常の生活から離れた、例えばどこかに向かう機内や旅先で、新たな考えが浮かぶことを経験する。あるいは夜中に書いた文章を朝になって見ると他人の文章のようでボツにすることもある。いや、環境により考える前提が変わってきたということか。考えはおそらく言葉以外のものも使って出来上がっているのだろう。その前にあった考えとは別のストーリー展開になることも経験する。
だから環境による神経細胞(群)の使い分けで、脳の活動が(“書く・話す・理解する”など、言語の利用を司る言語中枢などの脳領域を軸にしていても)変わってくる。音楽や絵画の前で、旅の経験や趣味に没頭する中で、様々なエピゲノムの神経細胞(群)が動員され、考える作業が進行する。環境や経験がそれまでの私のヒステリシスに彩りを添える(第15回コラム)。音楽や絵画など、言葉で表せない表現方法も発達させ、言葉の限界を超えてきたのかもしれない。あるいは言葉の背景には、様々な要素が絡んでいると考えても良い。複雑に制御された脳内の各領域が作文の作業に絡んでくるのだ。