塩田 邦郎(しおた・くにお)
東京大学名誉教授
1950年鹿児島県生まれ。博士(農学)。79年東京大学大学院農学系研究科獣医学専攻博士課程修了後、武田薬品工業中央研究所、87年より東京大学農学生命科学研究科獣医学専攻生理学および同応用動物科学専攻細胞生化学助教授、98年より同細胞生化学教授。
2016年早稲田大学理工学研究院総合研究所上級研究員。哺乳類の基礎研究に長く携わり、専門分野のエピジェネティクスを中心に、生命科学の基礎研究と産業応用に向けた実学研究に力を注ぐ。2018年より本サイトにて、大学や企業での経験を交え、ジェネティクスとエピジェネティクスに関連した話題のコラムを綴っている。
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第七十二回 黄色いタイムカプセル
昨夜から雨が降り、今朝はそれまでの暑さが嘘のように肌寒く空気が重たい。喉がいがらっぽく目が醒めると、老いた父親の咳(しわぶき)と“ゴホッゴホッ「王龍(ワンロン)や、お湯をくれ!」”の声が頭をよぎる。パール・バック(Pearl S. Buck, 1892-1973)の小説「大地(The Good Earth)」の霧に囲まれた農家の朝の光景だ。
「大地」は清朝末期の辛亥革命(1911)に近い頃から始まる農家三代を描く小説で、当時の中国の庶民の暮らしぶりや社会を知る上でも面白い。この本が出版されるとたちまちベストセラーになり、パール・バックは1932年にはピューリッツアー賞を受賞、その6年後の1938年にはノーベル文学賞を受賞した。
パール・バックは米国の宣教師の娘で生後3ヶ月から中国で育ち、16歳で米国の大学に進学して数年間を過ごした後に中国に戻り、結婚して1920年にキャロライン(Caroline)を出産した。キャロラインは青い目の穏やかな美しい娘だった。しかし、3歳になっても話せなかった。キャロラインには障害があったのだ。その原因も治療法もわからないまま、自分の死後、娘はどうなるだろうかと悩むパール・バックが、娘はフェニルケトン尿症(phenylketonuria, PKU)(注1)であるとフェーリング診断法(注2)の結果を告げられたのは1960年のことだ(Philip R. Reilly, Orphan)(注3)。