東京大学名誉教授
1979年より製薬会社中央研究所、1987年より現在まで東京大学(農学生命科学研究科)、2016年から2020年まで早稲田大学にて研究されてきた。素朴な生物学の影を残した時代から、全生物のゲノム情報を含む生命科学の基礎と産業応用の飛躍の時代になった。本コラムでは大学や企業での経験も交えながら、専門分野のエピジェネティクスを含めた自由な展開をお願いしました。
第八回 我らは和製ポイズンピル世代?
私が大学院生の1973年頃、店頭からトイレットペーパーが無くなるという事態がおきた。第4次中東戦争で原油価格の高騰がおき(第1次オイルショック)、 “物不足に陥る”との不安から人々は物の買い溜めに走り、街は異様な雰囲気に包まれていた。
日本経済は第1次オイルショックの影響でマイナス成長に陥り高度成長期が終わった。その後も1980年にかけて再び原油価格が高騰、イラン革命やイラン-イラク戦争も重なり、第2次オイルショックという、さらなる混乱につながった。1989年には米国の象徴ロックフェラービルが日本企業に買収され、外資ハゲタカファンドによる敵対的な日本企業買収もニュースになった。いっぽう、外資ファンドにとっては、多額の社内留保を持つ日本企業は魅力ある存在であった。
このころ、ポイズンピル(poison pill) “既存株主にあらかじめ買収者のみが行使できないオプションを付与しておき、・・・買収を困難にすることを目的とする買収防衛策(野村証券、証券用語解説集)”という言葉も聞かれていた。大学院修了後、製薬会社に入社し10年近く過ぎた頃、同期入社の同僚Yが「わしはポイズンピルや。わしがおる限り、会社は敵対的買収にはあわへんで!」と、関西弁でつぶやいていたのを思い出す。少なくともY以外にも40名の同期入社の毒饅頭(和製ポイズンピル)が働いていた。沢山の毒饅頭に怯え、外資も容易に手を出せなかったのだろうか。豊富な資金(噂では2兆円超)を持つこの会社は外資ファンドはに買収されることもなく、新たな時代を迎えている。
つい最近まで1品目の開発には数百億円の費用と10年以上の期間が必要とされていた。大手製薬会社は年間売り上げが数百〜1000億円を超すような大型商品(ブロックバスター:Blockbuster)開発をねらい、売り上げがが100億円に満たない薬の開発は話題にすら上がらなかった。開発失敗のリスク分散の意味からも複数の薬候補を並行して開発する必要があったから、販売開始後に早期に開発費を回収できる大型商品が常に必要とされていたのだ。
患者数が多いことに加え内服も可能であり深刻な副作用が無く、長期間(できれば生涯)服用される薬の開発が理想的で、ブロックバスターの開発は患者や医者あるいは製薬会社にとっても有益である。