塩田 邦郎(しおた・くにお)
東京大学名誉教授
1950年鹿児島県生まれ。博士(農学)。79年東京大学大学院農学系研究科獣医学専攻博士課程修了後、武田薬品工業中央研究所、87年より東京大学農学生命科学研究科獣医学専攻生理学および同応用動物科学専攻細胞生化学助教授、98年より同細胞生化学教授。
2016年早稲田大学理工学研究院総合研究所上級研究員。哺乳類の基礎研究に長く携わり、専門分野のエピジェネティクスを中心に、生命科学の基礎研究と産業応用に向けた実学研究に力を注ぐ。2018年より本サイトにて、大学や企業での経験を交え、ジェネティクスとエピジェネティクスに関連した話題のコラムを綴っている。
第七十八回 ゲノム戒厳の功罪
2024年12月3日、韓国で「非常戒厳」が宣言された。戒厳令に反対する学生や市民と軍の間で武力衝突が起き、多数の死者を出した光州事件(1980年)を彷彿とさせる事態に懸念が広がったが、6時間後には解除された。「戒厳」とは、戦時・事変に際し立法・行政・司法の事務の全部または一部を軍の機関に委ねることであり、通常は人権の広範な制限がなされる(広辞苑第六版)。
遺伝子制御の一つであるエピジェネティクスは、まるで戒厳のように、遺伝子の存在を徹底的に封じ込め、あたかも存在しないかのような状態にする。エピジェネティクスは、外来DNAがゲノム内で勝手に活動・増殖しないよう、DNAメチル化やヒストン修飾を通じてその動きを抑制する。当初の目的は、進化の過程でゲノムに取り込まれたウイルスなど外来遺伝子の封じ込めであったと考えられる(第4回コラム)。現在もウイルスとの闘いは続いており、過去に侵入した外来遺伝子がいつ活動を再開するか分からないため、ゲノムは常にエピジェネティクスによる「戒厳状態」にある。