塩田 邦郎(しおた・くにお)
東京大学名誉教授
1950年鹿児島県生まれ。博士(農学)。79年東京大学大学院農学系研究科獣医学専攻博士課程修了後、武田薬品工業中央研究所、87年より東京大学農学生命科学研究科獣医学専攻生理学および同応用動物科学専攻細胞生化学助教授、98年より同細胞生化学教授。
2016年早稲田大学理工学研究院総合研究所上級研究員。哺乳類の基礎研究に長く携わり、専門分野のエピジェネティクスを中心に、生命科学の基礎研究と産業応用に向けた実学研究に力を注ぐ。2018年より本サイトにて、大学や企業での経験を交え、ジェネティクスとエピジェネティクスに関連した話題のコラムを綴っている。
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第七十一回 エピゲノムの水平伝搬
「梅干し」と聞いただけで口の中が酸っぱくなる。犬にベルの音と同時に餌を与えることを繰り返すと、ベルの音を聞いただけで唾液が出るようになる、という有名なパブロフ(Pavlov, Ivan Petrovich, 1849-1936)の条件反射を持ち出すまでもない。「梅干し反射」は、感覚器と記憶や運動など複数の脳領域が絡む連合学習の成果で、後天的に獲得されるものだ。
言うまでもないが、ゲノムはDNA塩基配列により刻まれた生命の全情報で、親世代から受け継ぐ先天的なものである。エピゲノムはゲノム全域のエピジェネティクス情報(DNAを構成するシトシンのメチル化とヒストンの数十種類に及ぶ化学修飾)による後天的なものである。
言語や文字の習得、楽器の演奏、スポーツ能力なども後天的に備わる(第15、25、50回)。これらの後天的に獲得される能力や「梅干し反射」は、脳の可塑性で説明される。シナプス再編に基づいた神経ネットワーク再構築による脳の可塑性である。脳が周囲の状況に応じて変化する能力のメカニズムだ。