東京大学名誉教授
1979年より製薬会社中央研究所、1987年より現在まで東京大学(農学生命科学研究科)、2016年から2020年まで早稲田大学にて研究されてきた。素朴な生物学の影を残した時代から、全生物のゲノム情報を含む生命科学の基礎と産業応用の飛躍の時代になった。本コラムでは大学や企業での経験も交えながら、専門分野のエピジェネティクスを含めた自由な展開をお願いしました。
第一回 エピジェネティクスって?
私たちの体は多種類の個性的な細胞から出来上がっている。これは進化の過程でDNAサイズの増大と遺伝子数の増加に加え、ゲノム制御に変化が生じたことによる。私は、DNAの核への収納が、細胞の個性を生み出すゲノム制御の仕組み「エピジェネティクス」を創ったと考えている。
細胞内では、長さ2メーターにもなるDNAは、直径が約10マイクロ・メーター程度の核の中に収納されなければならない。しかも、DNA収納は整頓されていなければならず、乱雑に詰め込まれたのでは用をなさない。
衣替え時のタンスへの衣類の収納は、季節に応じたものでなければ困ったことになる。夏に向かう時、コートやセーターは奥の方で良いが、Tシャツは取り出しやすい場所に収納する。たとえ天候不順で急に寒くなっても、普通はわざわざコートは取り出さない。コートは取り出すのが面倒な場所にしまい込まれているからだ。気がつくと、衣類の収納が着るべき服を決めていることになる。そして、収納を眺めれば季節を知ることになる。私たちの細胞でもDNAの収納によって読み取られる遺伝情報が決まり、個性的な様々な細胞が生じることになる。
息子が3歳頃であったか、高い塔を見て「あれも東京タワーというんだよ」と叫んでいた。4歳の孫も、空港に向かう鮮やかなデザインの電車を「あ、新幹線だ」と喜ぶ。私も様々な生物現象に出会い「これもエピジェネティクスだ」と気づいている。
エピジェネティクスの重要性が認識されたのは比較的最近のことだ。私は幸いにエピジェネティクス研究が大きく展開する時期に立ち会えた。ゲノム、DNAメチル化、ヒストン修飾、ヌクレソーム、クロマチンなどの言葉で語られるエピジェネティクスの世界は、生命の誕生から死までカバーする様々な生命現象の交差点に現れる。その交差点に立ち止まり眺めるのも楽しそうだ。